Secondary damage by covid-19

記事作成日:2020年6月27日

コロナ禍が生んだ新しい環境とは・・・

2014年、「みんなの学校」 という映画をみました。

舞台は大阪にある大空小学校です。

最近良く耳にするインクルーシブ教育のもとのびのびと子どもの成長と

向き合う環境を先生、保護者、地域住民の方々、生徒、で

初代校長が9年かけて創った形を今も引き継がれている公立小学校です。

この映画に出会ったのは長男が中学1年になったとき環境の変化に

順応しきれず学校へ通うタイミングを失ってから平坦ではない道を歩んで

数年たった時でした。

子どもに限らず生きていくことは人との関わりを持つことです。

反対に人と関わりを断つことは死を意味するとになります。

教育の話から突然飛躍した意見と捉える方もおられるかもしれません。

現代の学校は19世紀に始まり、年齢で子どもを区切り全員が

同じカリキュラムを同じペースで学ぶ形になって以来変わらず続いています。

21世紀になっても多くの国の子どもたちにこの教育法は利用されています。

国の近代化のために上質で均質な労働者をつくる目的に利用されたとされる

この方法は、社会で働くために多様な考えや行動を必要とする現代では機能

しないものになってきていると考えています。

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私が英語教室を開講したのは、共に学び合う経験をする場所を学校以外で

作りたいと考えたからでした。

子どもがわからないことは「わからない。」と安心して言える教室。

子どもが学び合う仲間を「受け入れる。」ことができる安全な教室。

子どもに限らず、人は人と関わりを持ちながら

安心と安全を確保し進んで行けると考えています。

戦争が一つの例えにもなります。

戦時下では勇気のある人や命をかけた人が安心と安全の礎を築きその後

身体的、精神的に人々が安心したとき一歩進むことが

できたのではないかと思います。

大人が「礎を築く」ことが教育の最大の目的だと私は携えています。

命がけで次の世代へ安心を届ける「環境を整える」ことが

未来を作る一歩を生むのではないでしょうか。

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 映画を見る前に読んだ「みんなの学校」大空小学校では

校則なし 先生の残業なし 特別教室なし 普通なし

「普通の子どもはいない」と先生、地域の大人、保護者、で共通認識を

持った上で子どもの考えや発言に耳を傾けたとき、

学校について表現している言葉が

「牢屋」「刑務所」「地獄」だったそうです。

真摯に生徒に向き合ってくださる先生方を前にこのような言葉がでることは

本当に忍びないと思いますが、現実に学校に行きたくないと思っている

子どもはこのように感じているのです。

また、教育熱心な保護者のかたに言わせれば

そのような考えの家庭で育つ子どもは分けて考えたい、

同じクラスにいてほしくないと考えるかもしれません。

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コロナ禍によって、仕方なく休校が長引き再び学校が始まった時に

どのようにして人との関係、学校との関係を続けていけば良いのかわからなく

なってしまった子どもがいます。

私事ですが、長男との長い時間は様々なことを考える私にとって深い時間と

なりました。これから私の末娘と深い時間を過ごすことになりそうです。

自分に対応できることを学校の先生方の協力を得ながらしていくことで

彼女や同じ思いをしている子どもが安心して前進できることを願っています。

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